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橋本治という行き方 WHAT WAY TO GO!
橋本 治
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by ssnostalgia | 2005-08-30 09:17 | book
勉強ができなくても恥ずかしくない 1~3
橋本治

自身の生い立ちを振り返り「なぜ今の自分がこのようなものの考え方をするのか?」のルーツ探しの本。「橋本治という行き方」とセットで読むと良く分かる。後近代(ポストモダン)の思想を持って生きる数少ない人間の一人橋本治さんは、近代が大嫌いで、過去を振り返る。自分勝手な「近代」は一人で生きていく強さを橋本少年に与え、その先「後近代」に連れて行った。さみしいけど孤独は通過儀礼なのだろう。孤独から逃げる人がほとんどだけど。
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by ssnostalgia | 2005-08-30 09:15 | book
文藝別冊総特集 白洲正子
文藝別冊総特集 白洲正子
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by ssnostalgia | 2005-08-30 08:50 | book
白洲正子の世界
白洲正子の世界
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by ssnostalgia | 2005-08-29 08:51 | book
「かくれ里」を旅する
映像美術紀行
「かくれ里」を旅する/白洲正子の世界

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by ssnostalgia | 2005-08-29 08:50 | book
ドッジボール
ドッジボール「ドックショウ」と「オースティン」をたしてつまらなくした(笑)感じでしたが、部分的に面白いところがあった。
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by ssnostalgia | 2005-08-27 11:06 | movie
TARNATION
TARNATION

表現を大きく支えるものに視覚がある。「見る脳・描く脳」が述べるように時代の流れに絵画表現も寄り添いお互いに補完してきた。人間が見るものの流れは超可視、可視、不可視に区分される。

絵画の始まりは宗教画である。人間は神秘という不可視を表現することからはじめた。そこでモチーフになりえるのが神のみであった。その時代の世界観では、たわいもない普通の人間は描かれる対称にはなりえなかった。神話の神々は不可視であるが人間のカタチをかりて表された。

人間が描かれるようになるのはルネッサンスという言葉が示すように人間美に目を向けたときからである。西洋ではケランジェロ、ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ラファエロが人間美を追及し、日本でも同じ頃に革新的な仏師の流れとして慶派が生まれ、人間美を追求する。

人間が可視化され描かれる対象になるのは必然性はあったと考える。同じように、可視化できる人間は人間を描く中で、人間を超えたものを感じたのか、人間の無意味を感じたのか、表現が内面化し超可視の表現もうまれる。(シュールレアリズムなど、、)

映画はこの超可視の表現に埋め尽くされていたと感じてやまない。個人の内面のほんの些細な部分が映画全体を支配し、共感など求めていない。ただただ自分が感じた事実をビジュアル的にも超可視の表現で表していた。言葉足らずだがこの点をこれからも観察していきたいと思う。

1・古典になりえる前衛的なビジュアル表現は人間内面の苦悩からうまれる。
2・“ターネーション”の意味は、天罰、破滅、地獄に落ちる、永遠の断罪。
3・母という存在が大きく描かれていた。父では描かれなかっただろう。
4.幼児のころ虐待を受けた体験だけがこの監督の感性を創ったのではなくて、出発点からの積み重ねの総量だと私は感じる。(良い悪いは別)
5.製作関係者に「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」のガス・ヴァン・サントと 、「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」のジョン・キャメロン・ミッチェルが関わっていたので観にいったが、さすがに外さなかった。
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by ssnostalgia | 2005-08-26 08:50 | movie
川合玉堂
川合玉堂さんを見なさいと薦められる。
人に影響を与える生き方は確かに存在する。私は信じる人の言葉に従って生きている。
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by ssnostalgia | 2005-08-26 08:50
芸能入門・考
小沢昭一・土方鉄

涙なくして読めない本のひとつ。土地から離れて生きる人、すなわち芸能人。その原点に遡ると被差別者=部落問題にぶち当たる。土地からの上がりを期待できない人々は己自身の価値を高めようと芸を覚え糊口を潤す。今では到底考えられないギリギリの生活の中での芸は「生きること」はどういうことで「死ぬこと」はどうゆうことかと直結していた。

芸能が「弔い」と「祝い」の両方を体現し一般人=カタギに広く受け入れられた理由の1つに神様仏様に表される信仰があるのだと、「天皇制」を引き合いに出して小沢昭一は述べる。認めがたい「天皇制」というしっかりとした土台=大きなチカラがあるからこそそこを離れて生きる「芸能」がはじめて芸として高められるという。この視点は「比喩としての天皇制と個の自立」は共存しているという矛盾を含んでいるが、人間を一番表しているとも思う。

1・モノを運ぶ力が必要な時代、馬を買うために娘を身売りする。馬を養うことができないもしくは買う事ができない場合は、娘を売らずに労働力として使い、なおかつ犬を労働力として使う。「猫の手も借りたい」は事実犬を労働力として使っていたから生まれた言葉だと初めて知った。

2・好きではじめたことは簡単に辞められるが、やめたくてもやめられない状況で身についたものが芸になる。「好きこそモノの上手なれ」はやめられない状況を過ぎて身についた芸が好きになることの意。
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by ssnostalgia | 2005-08-25 08:50 | book
ボクの音楽武者修行
小澤 征爾
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天才の若かりし頃の旅行記。写真の顔にこの人の全てがあるとおもった。
すがすがしくさっぱりとした育ちの良さが、人間の良い部分だけを引き出し悪い面は見ないという「狂気」を作り出したのか。
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by ssnostalgia | 2005-08-25 08:50 | book



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