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ホワイト・オランダー
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ホワイト・オランダー

社会的に自立する事は個人としての自立が前提となる。社会で生きてい力(=思想)をすでに身につけた母親は自立するための自己教訓を娘に教えていく。アーティストである母親とその娘の人間関係の物語である。

個として社会で生きていくためには、「確固とした個の成立を前提とする」という彼女の思想がある。自己の感性を研磨しとぎすましたモノとするため、なれ合いの慣習に対しては否定的になり、恋愛関係や宗教を始め、直感に対してさえも「なぜ?」と自問することを娘に求めることを教えていく。

慣習に従わないということは誰にとってもつらいことだろう。なおさら無垢な娘にとって、頭で考えて決定することを要求されることは自己を確立していないから、自己決定の担保を何に求めればいいのか解らない。

自立というのは残酷で、自立するまでは「大きな力=親」に依存するしかない。娘は母の教育方針に疑いを持ちながらも約束を守り、体制側に取り込まれたい欲求をなんとか抑え母との関係を築いていく。

娘は慣習という名の下に造られた社会は確かに矛盾に満ちた社会だと理解するが、それ以上に多様な人間関係を含んでいることを実感する。矛盾に満ちた社会で自己を確立していき、娘は母との関係では築けない強さと豊かさを育んでいく。

この映画では、個人の自立をどこで区切ればいいかについて1つ結論を出している。「自立は保護を離れて初めて成立する他力本願的なモノである。」保護される立場(=娘)と自立を認めない保護する立場(=母親)の共存が崩れはじめて自立が成立するのだ。つまり優位側が自分の立場を手放して劣位側と対等な関係を認めるまで続くのである。それを認めないと対等な関係=自立は成立しない。

この映画で母親が主導権を破棄して娘との関係のカタチを変えた。娘は母の判断をもって「開放された(=自立した)」と感じ得たのだから主体はやはり劣者には無いのだろう。その後の2人の関係は「母と娘」にはなり得ないがそれをどのように築くかしか焦点はない。
と、一度リセットされた人間関係の構築について広く思う。

タイトルに使われている言葉、オランダーは夾竹桃(きょうちくとう)という花のことで、まれに白い花も咲かせる。花言葉は「危険/恵まれた人」。美しい花でありながら、外敵から身を守るために自ら毒を発する。強靭な生命力を誇っており、第2次大戦後の翌年夏、広島で一番最初に咲いた花が夾竹桃だったという。

ミシェル・ファイファーが抜群に格好いい人間で描かれていた。(セリフ内容には賛否両論あると思う。)レニー・ゼルウィガーは今一番の演技をする俳優だと思う。「シカゴ」のときより完成度が高くあれ以上のことが出来るなんてびっくりした。彼女はすでに名人上手だ。
by ssnostalgia | 2004-06-18 00:43 | movie
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