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豊饒の海
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ネットに書かれている言葉は私の表層ですが、ここではここの私があることを確かにイメージできる。私がネットに書き連ねている言葉はネットの私だからこそ表現できる観念の塊で、それによって自身の存在をネットで確認し形成できるのだろう。だからネットで「表現する」ことはネットで生きていることと同じで、発言の根拠はネットの私にある。

発言の根拠があるから、お互いがそこでの想像を膨らませダイアローグが成立するのが私が考えるゲーム(=コミュニケーション)のルール。そこには手探りから始まって、戦略を盛り込み、引くところは引いて、押すところは押す、など感性と知性とが必要とされる。その前提にあるのが相手に興味を持つこと。(←これは直感!笑。)匿名などどんな前提で話しているのかがわからない相手はだから興味の対象にもならないし、つまらない人間だとおもう。

仮定しよう。Aのブログの私を閉鎖してBの私を新たに生み出すと考えると「輪廻転生はある」とネットを通して感じることができる。それとはかかわりなく生きているネットのXの私がいると思うと、リアルな空間で生きる本当の私は「豊穣の海」だ。
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by ssnostalgia | 2004-06-02 19:40
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