楽園の地獄
楽園の地獄は何とかしたいね。弁護団には労働環境改善にむけて純粋にがんばって欲しい。田舎にも都会にも天国も地獄もあるんだよね。私個人は都会の天国を考えたい。 「ゴミばあさん」が複雑な内容を含んで固有名詞化しているのを少し前に知った。私を含めた至極一般の人が関わらないごく狭い社会の話しですが。 福祉なる概念が成立つのは豊かな社会で、社会が豊かだから、組織立てて支援をする体制が作れる。ニュース等で聴いたことがあると思うが、都会に住む一人暮らしの老人に、何故かゴミを捨てないで溜めていく「ゴミばあさん」がいるのを聞いたことがあると思う。(じいさんかもしれないが、ばあさんとする。)心情を察すると都会の一人暮らし寂しさの結果と言えば間違いではないだろう。 「ゴミばあさん」は都会だけにいるのか?と考えがちだが、そうではない。いるところにはいる。と言うことは都会にもいるし、田舎にもいる。都会だけの専売特許ではないし、寂しい都会だから生まれるモノではない。ただし、重要なのは程度に大きな差があるこの一点だけ。 田舎の「ゴミばあさん」は田舎ゆえの地域性に生きるためか、ある限度で収束するという。田舎が持つ地域性、ここでは分りやすく「身近な人々に監視される感覚」が何かしら働きかけ、「ゴミばあさん」のゴミの量=人間性からの逸脱の程度に歯止めをかける。 都会の「ゴミばあさん」はどうか?と皆も想像してほしい。「想像を絶するを超えるのよ。」と伝えられた言葉をそのまま書くが、想像を絶するを超えるという。ゴミの程度を述べても仕方ないが、結果として地域性とは無縁になってしまったイキモノは人間性という概念を超えるのだろう。自由な社会を望んだ結果は、大きな力(この文脈では地域社会)からの監視の目を無効にした社会となった。 どちらが幸せかを考えてほしい。が、実はそれには意味がなくて、都会の「ゴミばあさん」を救う道(=人との関わり方)を考えることがこれから先の社会を考える上で生産的だと都会にしか住めない私は感じる。 結びとして、都会の「ゴミばあさん」の部屋をボランティアの方が掃除するのだと言うが、それに必要とされるパワーは並大抵ではなく、都会に生きるボランティアだからこそ可能な芸当のようで、田舎の「ゴミばあさん」を相手にしているボランティアは都会の「ゴミばあさん」の部屋は掃除できないし、どうしてそこまでなるのかを理解できないだろうと。豊かな社会にも様々ある。
by ssnostalgia
| 2005-07-01 18:21
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