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誰も知らない
誰も知らないーっ!
誰も知らない
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「行動のバリアフリー」と「情報のバリアフリー」が人間に与えられて、はじめて人間たり得る。行動のバリアフリーとは、「行きたいところに行ける・取りたい物が取れる」など身体的欲求を満たすもので、情報のバリアフリーは、「情報を与えられる、情報を発信できる」など心理的?欲求を満たすものといえる。それらが満たされない状況は、想像するだけでゾッとするし、人間性はどこにもない。

刑務所が恐ろしいのは、人間から上記を理解して人間性を奪うからで、行動も情報も権力で制御することが挙げられる。恐ろしさの例えで言えば、極刑以上に苦痛を与える一番簡単な方法は、独居房に入れ続ければよい。

行動と情報の抑制で事物を見つめると、「学校」も刑務所と変わりはなく、教育と言う名の下に、時間で行動を拘束し、また、1つの正解以外は認めない情報操作(=発想の自由を求めない。)で人にラベルを貼る。

映画の中では、行動に関しては、母親から部屋から出るなと制御され、情報に関しては主人公の長男から正確な情報を与えられない3人の子どもたち(主人公の長男は結果としては母と共犯だと私は思う。)は、人間ではなかったし、悲しい存在だった。

身に美しいと書いて躾けと読まされるが、「親」の「子ども」に対する行動と情報の制御は、人間性を奪うから、その状況では、まともな人間は育たないのだろうと、道端で愛情もなく子どもを叱る親たちを見るたびにゾッとする。子どもには行動と情報の自由をを与え、大人はそれを見守るだけで良いと思う。「見守る」は躾けるではないのだけど。そんなことを映画を見ながら感じた。

1・演者としては次男が良かったと思う。あの天然の演技はあの世代でしかできないからか。

2・子どもが大人の複製(コピー)にならなかったから人類は進歩したのだよね。

追:TB先の家庭内殺人・または親殺し/子殺しをさかのぼったのがここ。サイコな私には興味深いのです。
↑に似たような内容の本「親を殺した子供たち」もどうぞ。
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by ssnostalgia | 2005-06-02 00:32 | movie
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