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「バッド・エデュケーション」: La Mala Educación
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修道院に暮らす二人の男の子が一瞬の内に恋に落ちる。恋に落ちるのには技術はいらない。人を好きにさせる魔性の魅力を持つ少年は校長にも恋心を抱かれ、結果、人生の末路を大きく変えることになる。彼らの人生を取り巻く物語「バッド・エデュケーション」。

「愛される才能」と「愛する才能」は人には備わっていると思う。「愛される才能」は愛され続ける不安を招き、「愛する才能」は、努力しても報われず越えられない壁を意識する。

「愛される才能」と「愛する才能」どちらともを兼ね備えることは難しく、多くの人は、生得する「愛される才能」もしくは「愛する才能」どちらかの役割を演じている。それが恋愛なのだろう。

登場人物は男性4人であるが、恋愛関係の複雑さを紐解いていた。恋愛に性は無関係であるから、恋愛関係をすべて男性で描くことで、純粋な恋愛関係を表現していると感じた。

「愛される才能」と「愛する才能」を持っていた詩人は、愛する対象を奪われ同時に愛されない不安に負けてしまい、麻薬と整形に手をだし、愛する才能までをも失う。
「愛される才能」を持っていた映画監督は、自身を愛してくれる対象を求め探し、さらに相手の気持ちを詮索するあまり、愛と無関係な状況に生きることになる。
「愛する才能」を持っていた宗教者は、愛する対象を壊してまでも手に入れたく思い、愛する対象を失ってしまったことすらわからない。
「愛される才能」と「愛する才能」の何れも持たないピエロ(俳優)は、愛せず愛されず、人との表面的な関係を築いて生きていく。

恋愛関係のマトリクスは上記の2行2列で表せる。映画タイトル「バッド・エデュケーション」と題された意図は秀逸だとおもう。「愛」を技術とし、それを学び身につけ、心から愛せず愛されない関係を築くことは、既成概念から受ける「悪い教育」があるからだとでも言っているのだろう。

実在の映画監督と俳優を基にした実話である。

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1・映画の登場人物全てが男性だけで作られればカンペキ!と思った。エキストラやチョイ役(=前作、トーク・ツゥー・ハ-の主人公。出演させたのはしがらみなのかな?)にも女性を出さない方が作品としては高い位置を獲得できたと感じた。

2・修道院?の描写は男性全てで埋め尽くされているのだけど、近代に入るまではああいった世界観が高貴なものとされたのだろう。崇め祭られるモノの神聖さは不自然だね。(笑)

3.校長のために歌う少年が出てきたが、美しい歌声だった。強要され歌っていたのだけど、歌わされている当人は「歌わされている意味」を知らないでいたが、子どもに真意を伝えないのは良くないとおもった。「君が好きだから唱って欲しい。」と素直にいえない地位に根ざす関係は不自然だ。(この映画に限らず)

4・表現者は孤独だ。ピエロの孤独は枠内の孤独でしかないのだろう。

5・スペイン映画はたまに良いのがでるね。『オール・アバウト・マイ・マザー』は同監督の作品で他には『オープン・ユア・アイズ』とかあるし。。
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by ssnostalgia | 2005-05-03 22:37 | movie
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