今回、林芙美子記念館に行ったのは、「雰囲気の良い和室」を身近に感じたかったからです。実物には、本とか設計資料集成などでは数値化されない雰囲気はやはりありまして、ほんのチョッとそれを感じたいと思って行きました。 と、いうのも設計の用途の中に、お茶会にも使える和室というオーダーがありまして、日ごろ意識していなかったモノを自分の言葉(=設計)で語らなければならなくなったからです。語られるものが良い悪いは個人の感覚と趣味によるけど。自分の言葉で語る。とにかくそれが重要だものね。奥深い日本建築とお茶にドップリと漬かりたいですが、ちょっと無理なのだと理解していまして、実感としてとにかく感じるという目的です。 林芙美子記念館はいいですねー。女の執念で満ちている。笑 「浮雲」の作者、林芙美子は「叩き上げ」と言い切れると思う。作家として地位と名声を得て、彼女の仕切りの元、この家は立てられたのです。太平洋戦争突入直前です。大工も幾人もの中から厳選され、高台の土地ももちろん選んだんだろう。とにかく、彼女の元にコントロールされた後天的ステータスを実現した「家」なのです。 ソフトとしての家族?に関しては、「息子」として養子を貰い受けています。女として好きかって生きていた「お母さん」もこの家に呼び一緒に暮らしています。恋多き女であった芙美子ですが無形の才能を持つ画家という肩書きの「旦那さん」もこの家で一緒に暮らしています。 この時代のおそらく幸せな家族に必要なモノは、林芙美子の周りにはおそらく全てがそろっていたのだろう。というか林芙美子がそろえたのだろう。幸せかどうかは別問題ですが。などなど、いつ訪れても林芙美子記念館では「執念の幸せ」、それをなぜか感じる。とにかく作り上げる事ができる幸せ。一代で作り上げうる幸せ。執念は一代限りだろうと。 林邸の庭には侘助(=わびすけ、と読みます。ワビサビの侘びです。)というお茶会などの際、床の間に飾られる椿の花が咲いています。中国と日本の品種を掛け合わせた小ぶりで凛とした花の咲く椿です。が、美を目指して掛け合わせた品種のためなのか、蕾からは決して種が生まれず、子孫を絶やさないためには接木、挿し木しかないようです。 林芙美子記念館の庭に咲く侘助(=わびすけ)をみていたら、いろいろと考えてしまって和室の雰囲気を感じることをすっ飛ばしてしまいました。笑。。。。 と、当代随一の目利き=白洲正子さんが農家を買い取って自邸とした武相荘と「林芙美子邸」のあり方は、生き方を含めていろんな意味で比較すると面白いと思う。誰かやっているかな??武相荘に行ったことが無いので今の私には書けませんが、、
by ssnostalgia
| 2004-12-28 09:10
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