戦争をすることで19世紀の後始末をしていた20世紀の中頃に、戦争にやっと存在意義がなくなった。そして戦争は細分化し「テロ」となって現在は存在している。「テロ」はこの先さらに細分化されていって、個人という最小単位まで掘り下げられる。事物にたいする存在意義は個人よってのみ肯定される。つまり、他人の怒りは自身の怒りになり得ない社会がすぐそこまで来ている。その社会は他人を肯定しないからテロを認めない。
人が「他人を含めた環境」との関係を成り立たせようとするとき、自分の言葉をもちいて自分の頭で考えるしか残された道はない。他人を理解するといういたってちゃんとした日常の積み重ねが「個人の集まりで作られた社会」と「個人」の関係成立を築く。 そう思う私は、9・11の前後にイベント的になっちゃった「テロを否定する現象」を変だなとおもう。なんで、主だったマスメディアはそんなことするのかな??理解不能。新聞は意味がないし、それ以上にテレビがないので一秒も見なかったけど。そういったテロを否定する発想と感覚を持つ個人が集団となった社会がファッショを導いてテロを支えているのじゃないかなぁ、と、ぼんやりと身体で思う。
by ssnostalgia
| 2004-09-13 00:05
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